電通大退任のご挨拶


唐沢   好男        


せれんでぃぴてぃ



    電気通信大学に17年間お世話になりました。それ以前には、企業の研究所で無線通信関係の研究者として働いてきました。 いつかは大学の先生にというのが夢だったので、電通大に採用が決まった時の高揚感を「この気持ち忘るべからず」と肝に銘じました。

    企業にいた42歳の時、論文博士として学位をもらいました。その時の学位授与式で、総長(井村裕夫先生)が『セレンディピティ』という言葉を教えてくれました 。偶然に訪れる幸運を掴み取る能力(Ability)です。「君たちは科学を発展させる担い手になるだろうが、それには能力がいる。アインシュタインをイメージするだろうが、 そういう人は特別で、普通の人が頑張るには、セレンディピティ(Serendipity)を身に着け、それで勝負するのが良い。セレンディピティによってなされた結果も、 天才の頭の中から生み出された結果も、科学技術の価値に変わりはない。」セレンディピティの語源(Serendip + Abilityの造語) や一つの例(フレミングがアオカビから抗生物質を見つけた由来)について、丁寧に説明してくれました。それ以来、私は、周囲の人にセレンディピティの効能を繰り返し説く 「セレンディピティバカ」になりました。ノーベル賞受賞者らが、実験の失敗の中に偶然現れた幸運を、よくこの言葉を用いて語るため、セレンディピティを「出来事」 と捉える人が多いと感じます。しかし、言葉の真意は文字通り「それを生み出すAbility(能力)」です。

    電通大にお世話になって以来17年間、唐沢研究室の学生はもとより、授業など多くの機会を通じて、 「社会で活躍するためには、”セレンディピティ=感じ取る力・結びつける力”を磨きなさい」と折々に説いてきました。精神論ばかりではダメで、具体例が必要です。 それには、化学同人社から出ている「セレンディピティ(R.M.ロバーツ著:安藤訳)」の本に事例が満載で、感覚を身に着けるヒントがいっぱい出ています。 無線の分野では、米国ベル研究所のペンジアスとウィルソンのケースが有名です。1964年のこと、科学者であった両氏は、宇宙通信用に開発した大型アンテナの性能を評価するため、 アンテナを天空に向けて雑音測定している中、どの方向に向けてもほんのわずかに原因不明の雑音(絶対温度3Kのごくごくわずかな雑音)が残り、気になっていました。 あるとき二人は、以前に聞いた講演のことを思い出しました。1960年代当時、宇宙はビッグバンという途方もない大爆発から始まったという荒唐無稽な理論が出てきて、 でも、もしそれが本当なら宇宙の果てにその雑音の名残があるはず、という話でした。そのとき、彼らは「もしかしたらこれかも」、と思い、検証を重ねて、 ついにまさにそれだと確証を得たのです。二人は、ビッグバンの証拠をつかんだことでノーベル物理学賞をもらいました。幸運の女神がそこに来ていて、それを捕まえたのです 。わずかなできごとに徹底的に拘り、幅広い知識や経験を活かして、自分たちの実験結果をそこに結び付けて、思わぬところの不思議を解明したのです。この力がセレンディピティです。

    大学の研究室での研究は、教員が種をまいて、学生(主に大学院生)が育てるというスタイルが大部分と思います。 でも、唐沢研究室では、そういう形とは別に、学生の興味や発想がきっかけになって花開いたテーマがいくつかあります。私にとってはそれがセレンディピティです。 17年間、あこがれていた学園生活(研究と教育)に生き甲斐を感じて没頭することができました。多くの学生との出会いは、私の喜びであり、この世に生きた証です。

    ピンチはチャンス。幸運はそれを待ち受ける心構えのある人のところに訪れる(パスツール)。電通大の発展と、皆さんの幸運を心より願っています。ありがとうございました。


【電気通信大学同窓会誌「調布ネットワーク」vol. 28-1, 2016.06より(一部加筆修正)】